「小旅行」 TOP

 午後三時を回った頃に、Kから電話があり、ちょっとその辺をドライブしないかと誘われた。Kは憎らしいことに、最近外車を購入したばかりだった。私に見せつけて自慢したいという意図が言葉の裏に透けて見える。
 私はゲームでフランス国土を削るのに忙しかったが、たまには外出も良かろうと思い快諾した。
「今から家を出発するから、近くの大通りに出て待っていてくれ」と言われる。Kの家は五キロと離れていない場所にあった。のんびり準備をする暇はなさそうだ。急いで着替え、部屋を出た。
 せっかく車を出してくれるのだ、手ぶらで迎えるのも悪いだろうと思い、途中の自動販売機で冷えた缶コーヒーを二本買っておく。大人の気遣いというものであろう。

 それから四十分後、私はまだ炎天下の路肩に立ち尽くしていた。汗がだらだらと流れ落ち、手にした缶コーヒーはとっくに温くなっている。あの馬鹿がまだ到着しないのは、多摩川に掛かる橋が渋滞しているからだろう。それならそれで、何故、近くに着いてから呼び出さないのか。私は胸の内で渦巻く憎悪を懸命に抑えた。近くで遊ぶ子供たちの、珍妙なものを見るような視線が痛い。
 それから更に十分が経過して、ようやくKが現れた。「悪い悪い、思ったより渋滞してて」全く悪びれた様子もなく、Kが窓から顔を出した。私は無言で車に乗り込む。
 Kの車はランドローバーだった。なるほど、自慢したくなるのも分かる。ただし、左ハンドル&ディーゼル&マニュアルという三重苦であった。更に「都の条例のせいで、ディーゼル車は次の車検を通らないんだよ」とKがぼそりと言うのを聞き逃さなかった。ざまあみろ、と私は内心で手を叩いた。

 Kの運転はまだぎこちなかった。左ハンドルに慣れないのだという。頻繁に、ふらふらと中央車線へと接近する。右側に座っているのはこの私だ。真正面から突っ込んでくるような対向車のトラックに、何度も悲鳴を上げかけた。「ジェットコースターみたいで楽しいだろ」とKはにやりと笑う。殺意がほのかに湧き上がった。

 「で、目的地はどこ?」私は尋ねた。
 「奥多摩湖」Kが答えた。
 はて、奥多摩というのは、ちょっとその辺りにドライブというレベルなのだろうか。普段、車に乗らない私には分からない。そう、と曖昧に頷き、温い缶コーヒーを啜った。

 我々の行程をサポートしてくれるのは、カーナビから聞こえてくる知的な女性の声である。私は心の中でナビ子さんと名付けた。Kが奥多摩に向かうのは初めてだそうで、ナビ子さんの指示は欠かせない。ガード下やトンネルを潜るたびに、カーナビの矢印が河川の上や住宅のど真ん中に現れるのは、愛嬌というものだろう。ナビ子さんの右折指示が、交差点に進入した直後に発せられるのも、ドジっ子のようで愛らしい。Kは激しく罵っていたが、心の余裕が足りないのではあるまいか。

 Kのうっかりやナビ子さんのドジが幾つか重なり合い、奥多摩湖の駐車場に着いたときには、当初の到着予定時刻から大幅に遅れていた。午後六時二十分。周囲の山々は薄闇に包まれ始めている。静謐さに包まれ、澄んだ空気を胸一杯に吸い込んでいると、都会での引きこもり生活によって歪んだ心がゆっくりと解きほぐされていく気がした。駐車場の真ん中に下品な改造車を停め、ぎゃはははと笑い騒ぐ若者たちのことは、心のフィルターで意識からシャットアウトしておいた。

 雄大な自然を堪能し、私たちは帰路に着くことになった。
 駐車場を出てしばらく走ったところで、「進路が違います」とナビ子さんが声を上げる。そう、Kは何を思ったのか、ここから更に奥地へと進もうとしていたのだ。私に一言の了承も求めないKの突飛な行動に、混乱を覚えた。
 「え、来た道と違うよ?」私は慌てて尋ねた。
 「同じ道じゃつまらないだろ。別のルートで帰ろう」Kは澄ました顔で応じる。
 「でも、奥多摩湖周回道路は午後七時で閉鎖、って看板に出てたけど」今は午後六時五十八分である。
 「大丈夫、大丈夫」何の根拠があるのか、Kは悠然とした態度を崩さない。いや、根拠などあるはずもない。真性の馬鹿か? 後続車は皆無で、対向車だけは続々と降りてくるという状況にも、Kは何も感じないらしい。

 やがて、完全に夜の帳が降りた頃、私たちの車は、閉ざされた周回道路入り口の料金所の前で立ち往生していた。
 「あー、やっぱり駄目だったか」Kは降りた遮断バーを見つめながら、ぼんやりと言った。劇薬注意と書かれた液体でも、まずは飲んでから確かめる手合いなのだろう。いずれ命を落とすことになるだろうが、私は巻き込まないでもらいたい。
 Kは諦めがついたのか、狭い道で苦労して車をUターンさせ、元来た道を引き返し始めた。やっと帰れる。私はほっと安堵の息を漏らした。
 
 「進路が違いますっ!」
 ナビ子さんが悲痛な声を上げた。Kは再び何を思ったのか、カーナビのルートから完全に外れた狭い道を進み始めていた。どこへ通じる道なのかは知らないが、山奥に向かって突き進むことになるのは確かだ。既に新たなルートを設定し直す気力もなくなったのか、ナビ子さんは「進路が違います」と一分に一度、吐き捨てるように告げるだけだ。Kは手を伸ばして何かのスイッチを押し、ナビ子さんを完全に黙らせた。
 「この先が行き止まりだったらどうする?」私は恐る恐る尋ねた。
 「そのときはそのとき」Kは淡々と答えた。ナビ子さんと同様、私もKを止める気力を失っていた。

 山道には街灯の一つもなく、真の闇に包まれていた。ヘッドライトが切り裂く僅かな空間だけが視界に映る。私もKも、使用しているのはPHSだった。念の為、確かめてみたが、やはり電波のでの字も入っていなかった。人里離れたこんな場所で、もし車にトラブルでも発生したらどうなるのだろうか。JAFを呼ぶことも出来ない。夜明けまで立ち往生だ。いや、夜が明けても車が通りかかるのかどうか。私はむっつりと黙り込んでいたが、胸の内では半泣きであった。やがて路上に靄が立ち込め始め、私たちの視界は更に狭まった。カーステレオからサザンオールスターズの陽気なナンバーが流れ出ている。

 どれくらいの時間、走り続けただろうか。峠を越え、下り道に差し掛かったところで、ようやく木々の隙間に灯りが見えた。文明だ、文明の光だ。私は安堵で全身の力が抜けるのを感じた。
 集落に辿り着いたのかと思ったが、そこはダムの上にぽつりと設けられた保養施設だった。駐車場で小さな男の子が楽しげに遊んでおり、すぐ近くで祖母らしい女性がじっと見守っている。私は微笑を浮かべてその光景を眺めた。が、Kは何の感慨も覚えないらしく、淡々とカーナビのルートを再設定していた。行き先を山梨にしたらしい。ナビ子さんが機嫌を取り直した口調で、新たな指示を出してくれる。

 再び山を下り始める。急カーブが続く難路だ。「イニシャルDみたいだ」とKは一人で上機嫌だった。私の方は、揺れる車体に空腹の胃が刺激され、徐々に吐き気を覚え始めている。酔ったのかもしれない。ようやく大きな集落まで降りたところで、私はKに空腹を訴えた。Kは渋々と、カーナビで飲食店を検索してくれた。ナビ子さんが教えてくれたのは、ここから更に一時間は要する相模湖畔のファミリーレストランだった。更に嘔吐感が増した。

 ようやく辿り着いたファミレスで遅い夕食を取る。貪るように食べて腹が満たされると、私の不機嫌と不快感は少し薄れた。ここの支払いはKが持ってくれると聞いて、更に機嫌が良くなった。ドリンクバーでメロンソーダを五杯飲んでから、今度こそ帰路に着くことにした。

 高速に乗ると、家の近くまではあっという間に戻ることが出来た。だが、橋を渡るところで再び渋滞に巻き込まれる。山梨から東京までが三十分。インターチェンジから私の家までが一時間だった。この世にある他の車を全部爆破してやりたい、とKがぽつりと願望を洩らした。

 やがて、私の家に到着したときには、日付が変わっていた。私はKに、実に楽しいドライブだったと礼を言い、ナビ子さんにも別れを告げて部屋に入った。

 私は疲労困憊していたが、それでも己を叱咤してPCを立ち上げ、再びフランス領土を切り取ることにした。



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